こんにちは、河合商事の田中です!
いきなりですが、、
皆さんは、日々生活を送る中で、一定の利害関係が生じた場合、
柔軟性のある取引を、されていらっしゃいますでしょうか?
最近では、新型コロナウイルスの影響を受けて
飛行機のチケットにおいて、フレキシブルチケットが、注目されていますよね。
状況、取り巻く環境の変化に対応するために
自分を変えていく、柔軟性。いわゆる臨機応変さが、私は必要だと思っています。
今回は、「柔軟性」について、クローズアップしていこうと思います。
ビジネスで柔軟性が重要な理由
今日では、日々技術革新が発展し、変化が激しい激動の時代となっています。
強く、賢く、変化に対応できる、そんな柔軟性が一つの武器になるのでは、と私は思います。
この二つが、調和することで、柔軟性を実現することができるのではないでしょうか?
意外と知らない、明治政府の時間にまつわるエピソード
ここで、教科書ではあまり取り上げられない、
諸外国に柔軟性を発揮した、明治政府のエピソードをご紹介いたします。
時は遡ること、1872年(明治5年)12月3日。
この時代は、太陰暦が採用されており、人々はお寺の鐘の音で生活を送っていました。
しかし、欧米諸国においては、現在の太陽暦が採用されおり、
1ヶ月以上のズレがあるため、国際が好ましくない状況だったのです。
年数が経つほど、徐々にズレが広がってしまいますよね。
これは、近代国家を目指す明治政府にとって、早急に解決しなければならない課題でした。
この課題を解決すべく、誰もが知っている、あの人物が英断を下すのです。
![お客様](https://apohime.kawai-shoji.com/wp-content/uploads/2021/03/-3-e1614788084287.jpg)
明治5年12月3日の次の日を、明治6年1月1日にしよう!
この様にして、日本は欧米で一般的に使用されている、太陽暦を採用するに至りました。
現在のカレンダーが、過去に途中で途切れていたなんて、、、
あの英断がなければ、今の日本は….
改暦の知らせがあったのが、明治5年の11月9日ということもあり、
人々の大混乱が、目に浮かびます。
しかし、この柔軟性をきっかけとして、
日本は、成長に必要な基盤を、創造していったのではないでしょうか。
このように、明治政府は、西洋に追い付け追い越せと、柔軟性を武器に奮闘したのです。
この柔軟性がなければ、諸外国の輪に入れず、国家として成長する機会を失っていたかと思われます。
大隈重信の英断がなければ、今の日本は、どうなっていたのでしょうか。。。
引き出しの多いタンスへ
柔軟性を高めるためには、いつもの行動から、逸脱することも大切です。
いつもと同じ場所、行動、時間、思考、性質のままでは改善されません。
大切なことは、新しい知識を得ること、物事を積み上げ経験値を上げること。
日々訓練を行い、自分の中の引き出しが増えれば、
柔軟性のある行動が、できるようになるのではないでしょうか。
そんな柔軟性について、過去の人々は教えてくれている気がします。
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